氷河期世代は既に終わった世代なのか?

 誰にも平等に積み重なる日々の時間。でも、その扱われ方は平等ではない。「世代」というセグメントで区切ると、相対的に重要性が低いと考えられているのが、「氷河期世代」ではないだろうか。

量が多い(夥多)ということは希少性が低いということなので、相対的に重要視はされにくいのが妥当だというのは理解できる。とは言え、一人一人の人間なのだから、自分が感じたこと、思ったことを、他人を傷つけないように、表明することは大事だと思う。


この考え方には賛同(↓)

おれたち、黙って死んでくれると思われてませんか?

氷河期世代の為政者やエスタブリッシュメントも、大衆がなんにもモノを言わなくて、なんにも行動しなくて、黙って死んでくれる都合の良い大衆であり続けるなら、気兼ねなくゆでガエルをゆでるコンロの火力をあげることだってできるだろう。それは氷河期世代だけの問題ではない。


「日本が衰退するのが見えている中、どのような心構えで日々過ごしていますか?」

「私はそこまで悲観せず暮らしてます」


そんな中で、自分が実現したい世の中に向けて、自分の仮説を持ち、アプローチしていくことが、充実した人生を送る上で大事だろう。

他人が自分をどう見るか気になってしまうのもわかるが、結局自分の人生の責任を持つのは自分しかいないのだから。もし、やる気や目標を見失ったのなら、ゆっくり一休みすれば良い。生きていれば、全ては良い方向に進んでいくのだ(経験的に)。

個人的には、リアルとITの融合をキーワードとして社会に還元したいという思いはこれまで通り。


 

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